パキラとゴムP&G
11.May.'04
 
 
 園芸部活動再会に至る、精神的支えの一つに、「パキラ」と「ゴム」がいる。いずれも初代園芸部創立以前からの存在で、まさにスーパーバイザー的存在で、私に進むべき道を示唆してくれる。そして今回も、彼らは見事にそのスーパーバイザーぶりを発揮して、私に勇気と希望を与えてくれた。
 
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 いうまでもなくゴム科の彼らは、生命力も旺盛で、扱いやすい観葉植物である。パキラはワサワサと葉を拡げ、ゴムはにょきにょきと天上を目指した。茂りすぎたパキラは部屋の中を暗くするほどになるのでしばしば剪定してきたが、ゴムは伸びるに任せたまま、はや2mにも達しようかと思ううちに、養分が不足したのか、下の方の葉がはらはらと枯れ落ちていってしまって、どこか林業のための杉林の杉に似たような風貌になりつつあった。
 
 そして、2004年春先の引っ越しに際し、私は大英断を下した。その結果、彼らはこんな風になってしまった。
 
                                                 
 わかりにくいかもしれないが、左がパキラで右がゴムである。エサをねだるヒナ鳥でも、ましてや細長いリンゴでもない。剪定にもほどがある剪定をされた、パキラ(左)とゴム(右)の鉢植えである。さすがに切り落とした直後から、正直言って後悔の念が私を襲った。ただの蛮勇であった。このまま枯れてしまうかもしれない…。
 
 確かに、引っ越しに際してこの状態は有効だった。枝や葉が折れる心配がない――枝や葉がない。高さも気にならない――高さがない。ただし、引っ越し屋さんから見れば、こんなみすぼらしい鉢を…と思われたと思うが。
 
 新しい居所で、彼らは一番日当たりの良い位置を占めた。日々、土の乾き具合を確認し、必要に応じて水を与えた。しかし、いつまで経っても切り株のままである。そこいらから棒を拾ってきて、鉢に突き刺したような体である。砂場の棒倒し会場とでも言おうか。私はますます後悔の念を強くし、園芸部部長としての自信を限りなく喪失していくこととなった。
 
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 しかし、植物は偉大である。春は崇高である。
 日々切り株を見守る――当時まさに故事成語「守株」を思ったものだ――私に対する周囲の視線(といっても一人)が冷たくなってくるころ、私自身も後悔と自信喪失に打ちひしがれ始めたころ、それは訪れた。
 パキラの切り口付近に緑色の吹き出物のようなものが!ゴムの幹に赤紫色の突起が!――彼らは待っていたのだ。彼らにとっての春が来るのを!彼らが葉を拡げるべき時期を計った上でそこから逆算するかのようにして、今、その再スタートを切ったのである。否、そもそも終わっていなかった。則ちスタートもない。連綿と彼らは続けているのである。生命というものを。
 
 
 ヒトが、春が遅いとか早いとか、桜はまだかとかもう散ってしまうのかとか――。そもそもそんなことはとてつもなくおこがましい思いなのであって、彼らはきちんと彼らのサイクルで生きているのである。もちろん望んではいないだろうが、無理な剪定をされたって、彼らは黙々と“続ける”のである。その無言の行に、我々は我々がしてしまったことを思い、恥じればよいのだ。
 
 偉大なる植物。崇高なる春――。我が園芸部は黙々と歩を進めるのみである。
 
 
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