告白文
03.May.'04
 
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 正直に告白しよう。
 我が部の部長として、私は誠心誠意、彼らの世話をしてきたつもりだ。決して冷遇はしていない。
 
 …しかし、発足当時の数々の鉢々たちは、今、一人として私のそばに残っていない。
 
 2002年8月に届いたペンタスは、こぼれるばかりに小さな星形の花を次から次へと咲かせ、次から次へと散っていき、再び花芽を付けることはなかった…。「多年草」ではあったが、「非耐寒性」であったのは、彼にとっての不幸であった。2002年9月に届いたランタナは、さすがに「低木」だけあって明くる年にも花を咲かせた。しかし、茎が伸びてしまったせいもあって、花はまばらで当初の華やかさはなく、その秋口、ひっそりと立ち枯れていった。2002年11月に届いたシクラメンは、驚異の生命力を魅せてくれた。彼はまさしく現金で、水分が少なくなってくると、一斉にうなだれて恨めしそうな様子を見せる。そのくせ水を与えられると、再び背筋を伸ばして顎を引いて髪を逆立たせるような姿勢に直る。可愛い奴らであったが、そう何度も“休め”“気を付け”を繰り返させられているうちに、何かを悟ったように、ある日、いくら“気を付け”の水を与えても、こちらの指示に従わなくなってしまった。2003年1月に届いたスイートピーはくせ者で、つぼみを付けると、付けた順番にそのつぼみを落としていってしまうので、結局、開いた状態の花を見ることができなかった。翌月に届いたオステオスペルマムも、なかなか花を付けずにヤキモキさせたが、せっせと水をやっているうちは咲こうともせず、ちょっと目を離したすきにヨワヨワと咲い(てしまってい)た。 2003年6月に届いたフクシアは、空中に垂れて花を付けていたものだったが、その花が落ちると、鉢台やら何やらに、やたら張り付いて可愛げのないやつだと思っている(もちろんかいがいしく世話はする)うちに、うんともすんとも言わないまま全体が変色していってしまった。
 
 2002年の10月に届いたバラは、がんばってくれた。翌春にも、翌秋にも、バラらしい花を咲かせてくれた。ポインセチアは、丈ばかりが伸びてまばらになってしまったものの、翌年もクリスマスシーズンには赤い葉を披露してくれた。宿根かすみ草アイビーゼラニウムは、少し大きめの鉢に同居させておいた。2003年の冬の終わりに届いた彼らは、あたたかくなってくるとともに葉をのばし、ゼラニウムの方は次々と花を咲かせ、園芸部の活動に報いてくれていた。5月に届いたハイドランジアは、梅雨の間じゅう、玉のような花を付け続け、厚い雲を見上げて寄ってしまった眉を、足下のアジサイを見ると開かせてくれた。
 我が部の草創期から苦楽をともにしてきたエボルブルスは、2003年の歳末くらいまでは元気だった。しかし、ヒトが歳末だ、年明けだと呑みまわっている間に、ひっそりと去っていった。彼を送ったのは、他のどの鉢を送るよりも淋しかった。そして、彼を送ったことが、私の何かを変えた。
 
 2004年の春先に、転居の予定があった。新しい空間に彼らを連れて行くべきかどうか。それはそれは深刻な悩みであった。我が園芸部に残されている精鋭は、バラ、ポインセチア、かすみ草とアイビーセラニウム、そしてアジサイである。バラとアジサイは、秋の終わりに剪定してあって、年が明け、2月の頃には、新しい芽を持ち始めていた。さて、彼らを新しい空間に連れて行くべきかどうか――。
 
 私がどのような決断を下したかは、既に冒頭に書いた。そう、私は彼らを旧居の植栽の隙間にこっそりと移植してきたのだ。もちろん私が固有に所有する土地ではない。だから夕暮れ時にこっそりと…。それは、子どもを教会の入り口に置き去る母親にも似た心持ちで、今でも私の胸を小さく締め付ける。そして、あの旧居のあの植栽を、再び見ることは、たぶんきっと決してない…。
 
 しかし、我が園芸部は復活した。第1期生となった諸君の活躍を、私は忘れない。そして、諸君の記憶と共に、前進するのだ。行け!園芸部リターンズ!
 
 
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